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記憶の列車

5月8日は、ドイツの敗戦記念日に当たるそうなのですが、私が最近もっとも気になっていたニュースが、日本でも放映されたようです。それは、「記憶の列車」と名付けられた、追悼記念館のこと。

この「記憶の列車」を知る切っ掛けになったのが、こちらのブログ。
昨年11月にフランクフルトを出発した「記憶の列車」は、ドイツ国内1万キロ(62駅)を走り、8日に当時のアウシュヴィッツ(現オシフィエンチム)駅に到着したとのこと。当時犠牲になった子供たちを始め、その最後の時間を追体験するように展示されたそうです。

私がこのニュースで関心を持ったのは、この展示の存在もありますが、この列車を走らせるのに線路の使用料や機関車の調達など資金を出し合ったのは、ドイツの市民グループ。一般人なのです。プロジェクトの代表は女性。被害国であるポーランド市民は、複雑な気持ちを抱いていると伝えていますが、加害国である国民に何が出来るのか、という取り組みの一環だそうです。
(TBSニュースより)

3月にドイツに行ったとき、この「記憶の列車」はどこを走っていたのだろうかと考えるだけで、想像が膨らみます。

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by sora_atmosphere | 2008-05-10 22:57 | ホロコースト関連

休戦

f0053506_18404722.jpg 帰国してから最初に借りた本が、プリーモ・レーヴィ『休戦』でした。

 始めは、ユダヤ人の詩集などを借りたかったのですが、なかなか見つけるのが難しかったので。同じ著者が書いたもので『アウシュヴィッツは終わらない』があるのですが、これも見当たらず。『休戦』は2作目の作品とのこと。

 プリーモ・レーヴィも、アウシュヴィッツ強制収容所に送られ強制労働をさせられたイタリア系ユダヤ人。撤退準備の最中、病気にかかり伝染患者の病棟に入れられた。そのまま放置させられたが、体力が残り生き延びることが出来た。最後の3人の中の一人だという。

 この本を読んだ後、書店で田口ランディの新刊をぱらぱらとめくっていると、このプリーモ・レーヴィのことが書かれてあったのでびっくりした。なんか偶然ではなくて、見つけてしまった。という感じ。とくにこの本を購入したというわけではないのだけれど。
 
 あのおぞましい出来事。という気持ちがずいぶん晴れて、私にとっては重要な資料という意味で本が読めるようなった。これもポーランドに行った成果かもしれない。

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by sora_atmosphere | 2008-04-24 19:07 | 本/Books

Itinerary (In oswiecim 19 March)

3月19日

 前日はあまり眠れないかと思っていたけれど、疲れていたので早く眠りにつくことが出来た。Krakow Glowny駅から、PKPに乗り1時間30分で、オシフィエンチムに到着する。さまざまな本でにもあるように、アウシュヴィッツという地名の名はドイツ語で、ナチスドイツにつけられたもの。正式にはここの地名はオシフィエンチム。バスでも行けるのだけれど、朝一番で行きたいこともあったので列車を選んだ。6:40分発ー8:05分着。朝5時に起きた。まだ空は暗い。
 ずっと天気が悪かったのだけれど、この日は快晴。やはり晴れの日は気分もいい。

 オシフィエンチム駅に到着すると、そこからアウシュヴィッツ・ミュージアムまでは、徒歩で20分かかる。勿論この地を訪れるのは初めなので、道などまったく分からない。皆が歩いていく方向に向かう。途中には、家々が立ち並んでいる。趣のある家から、戦後に建てられたような家など。地元の人が通っているであろう店もある。結構歩いたところに、開けた広場に出る。車もたくさん並んでいた。そこにミュージアムの看板が見つけた。


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 日本にいる時に、事前に連絡をしてあったアウシュヴィッツ・ミュージアムの公式通訳者でもあり、外国人公式ガイドである、中谷剛さんにガイドをお願いしていた。待ち合わせの約束は、午前10時だったのでそれより早く行って博物館の外で写真を撮り初めていた。9時近くを回っていた。撮っている途中に向こうが気が付いたようで声をかけてくれた。無事に会うことが出来てほっとした。
 
 今日の案内は私一人だったので、私がカメラを持っていたということもあり、ビルケナウを案内してくれた。その前に、ユーゲンランペという、引き込み線が出来るまで使用していた場所まで車で案内してくれた。ここには、実際に使用されてたという牛運搬用の貨車が展示されてある。木造で作られている小さな貨車。ここにたくさんのユダヤ人が詰め込まれ、運搬されていたのかということを感じるだけで胸が痛くなった。当時はこの場所から、ビルケナウまでは線路が引かれていたという。


 そこからさらに車で、ビルケナウに向かう。敷地内を歩いたり、降車場といわれているユダヤ人が連れて来られて始めに降ろされたランペといわれている場所に立っても、実感が湧かなかった。何も感じなかったのです。案内に耳を傾けていたということもあるけれど、そこから歩いて破壊されたガス室に行ってはみても。



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 「ザウナ」といわれている室内に入り、そこに展示されているユダヤ人の無数の写真郡。美術家クリスチャン・ボルタンスキー死者のモニュメントという作品をすぐに連想しました。その時、初めて温かさというのを感じたのです。そう、ビルケナウには温かさがない。人間や自然の温かさというのを一切感じなかったのです。そこは霊園であり、死者を参る場所。記憶を残しておくための場所。「ザウナ」から出てしばらく歩いていると、ふいに私はこの地に来たという実感が湧いてきました。本当、突然に。

 過去の歴史ばかりではくて、こういうことがなぜ起こったのかということを考えることが大事、という中谷さんの言葉。私はその時、色々考えていたのだけれど答えは出ませんでした。けれど、やはり遠い場所からここに来て、この場所を歩くということにとても意味があることだと思ったのです。何故か安堵の気持ちが湧いていました。


 撮りきれなかったということもあり、私は次の日もアウシュヴィッツを訪れました。雪が降り続く中、当時の極寒のビルケナウを肌で感じながらカメラを向けました。

 
 
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by sora_atmosphere | 2008-04-01 16:13 | 旅/Travel

アウシュビッツ平和博物館

 福島県白河市には、アウシュビッツ平和博物館という施設があるようなのですが、1988年に巡回された『心に刻むアウシュビッツ展』が始まりだったようです。



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(C) Auschwitz Peace Museum Japan



 実は、私はこの展覧会に行っています。新宿で開催していました。
 この時に、初めてその存在の重さを知り得たのです。

 '95年1月に「マルコポーロ事件」というのが起きました。当時、出版されていた雑誌「マルコポーロ」が、<ナチのガス室はなかった>と特集をしたため、廃刊となりました。『心に刻むアウッシュビッツ展』は、出版社や書店に勤める人々が、ボランティアで実行委員を作り、この展覧会が開催されたとあります(当時のチラシより)。


 犠牲者の遺品から、SS(ナチス親衛隊)の写真班が撮影した、収容所での写真や、囚人服や靴も展示してありました。囚人服や絶滅収容所の旗、ナチ親衛隊ハーケンクロイツの腕章(逆卍の)は、印象的だったため今でも目に焼き付いています。会場は文化センターだったため狭かったのですが、狭い中にぎっしりと展示されてあったので、余計にその余韻が強かったのかもしれません。
 その他にも、毒ガス・チクロンBの入っていた缶や、人間の皮脂で作られた石鹸など、ポーランド国立オシフィエンチム・ブジェジュンカ博物館が所蔵している21点の遺品や資料(重要文化財)が提供されました。

 福島の平和博物館でもさまざまな活動をしているようです。

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by sora_atmosphere | 2007-10-06 22:13 | ホロコースト関連

細江英公 『死の灰』

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 先週の土曜日は、東京工芸大学内にある、写大ギャラリーへ。
 現在行われている、写大ギャラリー・コレクション,VIVO展のギャラリートークへ参加した際、細江英公氏が語られた、新作の写真集『死の灰』。
 こちらは、<核>をテーマに取材した作品です。

 79年のヴェスヴィオ山の大噴火により、一瞬にして消えた古代都市ポンペイ。
 後に、発掘作業により発見された遺跡の中には、人間までも灰に包まれたまま発見されたのです。現在、石膏で象った人体が博物館に展示されているそうです。

 その姿は、ヒロシマナガサキに核兵器を落とされたとき、一瞬にして都市と人々が破壊されたという、核の恐ろしさというものを表現しているといいます。




 人間は、過去のことを忘れてしまうことが多い生き物ではないか。日々のニュースを見ていても常々感じることです。たとえばそれが、悲しい出来事、辛い出来事の場合など特に。本当、忘れたいものです。
 でも、歴史として。
 負の歴史としても、それを語り継がなければならないことがある。それが、核の恐ろしさであり、ユダヤ人迫害であり。特に、核兵器は日本が、最初で最後の犠牲者なのです。


 それでも、核を所有している国は、あります。
 核は、戦争を止めるための最後の手段として、相手国を脅しているのです。
 核抑論の考え方がなくならない限り、むしろ無くそうと思わない限り、また同じ被害が及ぶ危険性はあるのではないか。とそのような恐怖さえ感じるのです。
 
 ポンペイ,アウシュビッツ,トリニティ・サイト,ヒロシマを撮った写真集。
 細江英公氏だからこそ、語れる表現なのでしょう。
 7月15日に発売予定されるようです。
 
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by sora_atmosphere | 2007-07-11 00:46 | 本/Books

世界遺産>アウシュビッツ強制収容所 8.27OA

 昨日、TBSの番組「世界遺産」で、アウシュビッツ強制収容所が放送されました。

世界遺産 アウシュビッツ強制収容所

 バレーボール、ロシア戦を見ていたので途中からの鑑賞となりましたが、観る度に胸が痛みます。その日の晩は「24時間テレビ」で、5年前ロシアの学校を襲ったテロリストによる立てこもり事件で、奇跡的に生存した子供を広末涼子が取材に行くという番組を見た日のことだったので増々感受性が高まっていました。

 「世界遺産」の番組のディレクターは、アウシュビッツや広島の原爆ドームといった戦争や人種差別など人類が犯した罪を証明するものを"負の遺産"とユネスコではいっているそうです。それは、同じ過ちを二度と繰り返してはならないという戒めの意味も込められているそうです。

 番組のディレクターの方は、830箇所ある世界遺産の中で、特に気になっていたのがアウシュビッツだといいます。ガス室を撮影してた時は、"人間がこのように扱われてはいけない"と、そこに漂う空気や匂いから感じたそうです。
 映像では、青酸カリの青い染みが今でも残っているのだと伝えています。証拠隠滅のため、ナチが爆破したガス室も映していました。

 私にとってもますます気持ちが近く感じるようになった、アウシュビッツ・ビルケナウ(オシフィエンチム)。また、トシュビーチのようにこの番組が切っ掛けで、訪れてたい気持ちがより一層深まるばかりです。観光客が多いので、恐くないか。私は感じやすい人間なので(チェコのシナゴーグに行った時の夜も一瞬恐い思いをしたので)、とにかく勇気と覚悟が必要なのです。

 ここばかりではなく、リトアニア・カウナスやポーランド・クラクフ、絶滅収容所など、そちらの方も行きたいので。行く場合はきちんとガイドさんも付けたいし。将来は取材として行けたらいいです。

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by sora_atmosphere | 2006-08-29 00:47 | ホロコースト関連