カテゴリ:ホロコースト関連( 8 )

記憶の列車

5月8日は、ドイツの敗戦記念日に当たるそうなのですが、私が最近もっとも気になっていたニュースが、日本でも放映されたようです。それは、「記憶の列車」と名付けられた、追悼記念館のこと。

この「記憶の列車」を知る切っ掛けになったのが、こちらのブログ。
昨年11月にフランクフルトを出発した「記憶の列車」は、ドイツ国内1万キロ(62駅)を走り、8日に当時のアウシュヴィッツ(現オシフィエンチム)駅に到着したとのこと。当時犠牲になった子供たちを始め、その最後の時間を追体験するように展示されたそうです。

私がこのニュースで関心を持ったのは、この展示の存在もありますが、この列車を走らせるのに線路の使用料や機関車の調達など資金を出し合ったのは、ドイツの市民グループ。一般人なのです。プロジェクトの代表は女性。被害国であるポーランド市民は、複雑な気持ちを抱いていると伝えていますが、加害国である国民に何が出来るのか、という取り組みの一環だそうです。
(TBSニュースより)

3月にドイツに行ったとき、この「記憶の列車」はどこを走っていたのだろうかと考えるだけで、想像が膨らみます。

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by sora_atmosphere | 2008-05-10 22:57 | ホロコースト関連

アウシュビッツ平和博物館

 福島県白河市には、アウシュビッツ平和博物館という施設があるようなのですが、1988年に巡回された『心に刻むアウシュビッツ展』が始まりだったようです。



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(C) Auschwitz Peace Museum Japan



 実は、私はこの展覧会に行っています。新宿で開催していました。
 この時に、初めてその存在の重さを知り得たのです。

 '95年1月に「マルコポーロ事件」というのが起きました。当時、出版されていた雑誌「マルコポーロ」が、<ナチのガス室はなかった>と特集をしたため、廃刊となりました。『心に刻むアウッシュビッツ展』は、出版社や書店に勤める人々が、ボランティアで実行委員を作り、この展覧会が開催されたとあります(当時のチラシより)。


 犠牲者の遺品から、SS(ナチス親衛隊)の写真班が撮影した、収容所での写真や、囚人服や靴も展示してありました。囚人服や絶滅収容所の旗、ナチ親衛隊ハーケンクロイツの腕章(逆卍の)は、印象的だったため今でも目に焼き付いています。会場は文化センターだったため狭かったのですが、狭い中にぎっしりと展示されてあったので、余計にその余韻が強かったのかもしれません。
 その他にも、毒ガス・チクロンBの入っていた缶や、人間の皮脂で作られた石鹸など、ポーランド国立オシフィエンチム・ブジェジュンカ博物館が所蔵している21点の遺品や資料(重要文化財)が提供されました。

 福島の平和博物館でもさまざまな活動をしているようです。

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by sora_atmosphere | 2007-10-06 22:13 | ホロコースト関連

写真家 安井仲治>「流氓ユダヤ」

 昨日借りた、「決断・命のビザ」渡辺勝正著の本文の中に、『神戸に着いたユダヤ避難民はトランクひとつが唯一の財産だった』というキャプションがついた写真が掲載されていました。その横に、(撮影:安井仲治)と書いてあります。

 写真家 安井仲治(1903-1942)は、日本を代表するアマチュア写真家(商業写真ではない、所謂美術写真)で、当時発足していた「浪華写真倶楽部」「丹平写真倶楽部」の中心的存在。
 
 <流氓ユダヤ>のシリーズは、1940〜41年にかけ、ナチスの迫害を逃れ、神戸に滞在していた時のユダヤ人の姿を捕らえた作品。昨日書いた、"杉原ビザ"で、日本に通過ビザで訪れた時です。

 2003年。東京国立近代美術館で行なわれた企画展「旅『ここではないどこか』を生きるための10のレッスン」で、安井仲治<流氓ユダヤ>の作品が7点が展示してありました。その中に、著書のキャプションが入っている写真もありました。
 
 それから、安井仲治には興味を持ち(私の尊敬すべき恩師、森山大道も敬意を持っている方なので)渋谷の松濤美術館で行なわれた個展も行きました。

 大変貴重な作品を見ていたのです。この時は、非常に写真をよく見ていたので、コントラストからよく覚えています。もう一度観る機会があれば観れたらと思います。

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by sora_atmosphere | 2006-10-24 00:50 | ホロコースト関連

「真相・杉原ビザ」>渡辺勝正著

 金曜日ようやく借りていた「真相・杉原ビザ」の500ページ近くある本を読み終え(なんとか2週間くらいで)、返すことが出来ました。

 "杉原ビザ"という言葉は聞き慣れないと思いますが、7月12日の書き込みで、杉原千畝のことについて書いているのを読むと分かります。6000人のユダヤ人に日本通過ビザを発行し、ナチスの手からユダヤ人の命を救った日本人外交官です。イスラエルでは、「諸国民の中の正義の人賞」といわれる、「ヤド・パシェム賞」を授与され、エルサレムの丘には、記念碑が建てられています。

 けれど、当時日本に戻ってきた時には外交官の職を経たされ、日本では杉原氏のした行為は、よく思われていなかったのです。当時、日本はナチス・ドイツとも同盟を結んでいたので、杉原氏は危険を犯してまで、避難民を助けたのです。
 著者は、ユダヤ人を民族的な問題としてではなく、避難民として取り扱っています。避難民を救った"杉原ビザ"としているのです。

 著書の渡辺勝正氏は、現在、杉原千畝研究会代表として、この「杉原ビザ」のことを当時の日本の状況から、現在のイスラエル、そして杉原氏の故郷で、現在記念館が設けられている(2000年に)岐阜県加茂市を調査し、大変詳しくまとめられている本で、当時の杉原氏の卒業した、早稲田大学ということもあり、貴重な資料もたくさん載っています。

 特に、「千畝メモ」とよんでいる、杉原千畝氏のメモ書きの引用や、外務省の留学生試験経験談職員の書記「受験と学生」の全文も載っていました。
 今日は、「決断・命のビザ」を借り、最後読みまとめられたらと思っています。私の借りようとした本は、全て図書館の保存庫にあって、特に「ゲシュタポ・狂気の歴史」なんか、古くて(1968年初版)本が茶気て風格があるので、持ってきてくれた時は感動さえ覚えました。

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by sora_atmosphere | 2006-10-22 17:56 | ホロコースト関連

世界遺産>アウシュビッツ強制収容所 8.27OA

 昨日、TBSの番組「世界遺産」で、アウシュビッツ強制収容所が放送されました。

世界遺産 アウシュビッツ強制収容所

 バレーボール、ロシア戦を見ていたので途中からの鑑賞となりましたが、観る度に胸が痛みます。その日の晩は「24時間テレビ」で、5年前ロシアの学校を襲ったテロリストによる立てこもり事件で、奇跡的に生存した子供を広末涼子が取材に行くという番組を見た日のことだったので増々感受性が高まっていました。

 「世界遺産」の番組のディレクターは、アウシュビッツや広島の原爆ドームといった戦争や人種差別など人類が犯した罪を証明するものを"負の遺産"とユネスコではいっているそうです。それは、同じ過ちを二度と繰り返してはならないという戒めの意味も込められているそうです。

 番組のディレクターの方は、830箇所ある世界遺産の中で、特に気になっていたのがアウシュビッツだといいます。ガス室を撮影してた時は、"人間がこのように扱われてはいけない"と、そこに漂う空気や匂いから感じたそうです。
 映像では、青酸カリの青い染みが今でも残っているのだと伝えています。証拠隠滅のため、ナチが爆破したガス室も映していました。

 私にとってもますます気持ちが近く感じるようになった、アウシュビッツ・ビルケナウ(オシフィエンチム)。また、トシュビーチのようにこの番組が切っ掛けで、訪れてたい気持ちがより一層深まるばかりです。観光客が多いので、恐くないか。私は感じやすい人間なので(チェコのシナゴーグに行った時の夜も一瞬恐い思いをしたので)、とにかく勇気と覚悟が必要なのです。

 ここばかりではなく、リトアニア・カウナスやポーランド・クラクフ、絶滅収容所など、そちらの方も行きたいので。行く場合はきちんとガイドさんも付けたいし。将来は取材として行けたらいいです。

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by sora_atmosphere | 2006-08-29 00:47 | ホロコースト関連

杉原千畝という人物について

 ホロコーストと先住民の本をしっかり読んでいたら、遅くなってしまいました。杉原千畝さんの本を図書館に返すのを。

 杉原幸子著<六千年の命のビザ>。
「ひとりの日本人外交官がユダヤ人を救った」(本書からの言葉)

 まず、杉原千畝さんという方はどういう方かということ。

 昨年の10月に戦後60周年のドラマとしても放送された(私は見ていないのですが)ので、知っている方も少しいるかもしれません。
 1940年。ナチスドイツが、ヨーロッパに住むユダヤ人を強制収容所へと移送を始めた頃、リトアニア、カウナスの日本領事館は血相を変えたユダヤ人でごった返しました。国外脱出を望んでいる多くのユダヤ人たちは、日本を通過してアメリカ、イスラエルに逃れようと、日本領事館でビザを発行してもらいに駆け付けたのです。

 その時、日本領事館に勤めていた杉原千畝さんは日本本部からの「ユダヤ人にビザは発行しては駄目」という指示を無視して、一人でロシアに交渉し、6000人のユダヤ人に日本通過ビザを発行しました。多くのユダヤ人の命が救われたのです。

 後に、命懸けで日本に帰国し、ビザ発行の一件で外交官の仕事から降りなくてはならなくなった杉原千畝は、職を変えながらも(杉原千畝さんはロシア語が堪能でしたが戦後の当時はそれをいかせる仕事がなかった)28年後、1968年8月2日に「ユダヤ人難民4000人の恩人」という見出しで朝日新聞に掲載されます。

 その頃、仕事で単身モスクワに駐在していた千畝さんは、イスラエルのヤド・バシェム(追憶記念館)に立ち寄り、当時宗教大臣をしていたというバルハフティック氏から記念樹のお祝いと勲章を受け取ったそうです。

 イスラエルに在住し、当時、杉原千畝さんからビザを発行して貰った多くのユダヤ人は、そのビザを大切に保管していたそうです。

 そして、杉原千畝さんは東京のイスラエル大使館で、イスラエル政府から『諸国民の中の正義の人』(ヤド・バシェム賞)を授与されたのです。この賞は、東洋人ではただ一人。ドイツやアメリカ、フランスの報道にも取り上げられ、多くの人々に知られるようになったのです。

 私は恥ずかしながら、今年ホロコースト関係を本格的に読み進めるようになってから知りました。アウシュビッツが、やはり大きなキーパーソンだったので他の関連した出来事や事件は読んでいたのかもしれませんが、あまりにもアウシュビッツの話題や存在が大きくて記憶に残らなかったのかもしれません。

 ポーランド人が日本人に交友的なのは、杉原さんのお陰なのかと思うと、やはり気持ちの良いものです。

 杉原千畝さんは、昭和50年に75歳で生涯を終え、現在はこの世には残念ながらいません。杉原幸子さんという、千畝さんの奥さんが書き記した本からこの記録が残されています。この本のなかで、自身が体験したルーマニアに住んでいる時の死と隣合わせををした事件が印象的でした。

 リトアニアの、当時杉原千畝さんが勤めていた領事館は記念館になっています。私もいつか行きたいです。
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by sora_atmosphere | 2006-07-12 19:52 | ホロコースト関連

ロマ民族とホロコースト>「愛と憎しみのはざまで」

 レポートを書く練習のつもりでブログで少しづつ色々と書いていこうと思います。
今日は昨日書いた、「愛と憎しみのはざまで」についてから、生き延びたホロコーストを体験した人の心の問題を少し考えたいです。

 ユダヤ人の他に、ホロコースト、絶滅収容所に移送された民族にロマ(ジプシー)も含まれていました。ジプシーというと、住居を持たない放浪者というように日本では紹介されています。
 著書であるフィロメナさんもドイツのロマ民族であり、テント生活をしながら両親と劇団や楽団といった職をしながら生計を建て生活をしていました。
 ドイツのロマ民族のことをスィンティといいマヌシュ系の一グループといわれています。難民といわれ、ロシアや西ヨーロッパ、アメリカなどへ移住してきていたロマ民族もいますが、著者であるフィロメナさんは15世紀からドイツに定住している生粋のスィンティです(とはいえロマ民族はグループが多数有り正確にそうとはいえないようです)。音楽や楽器作りという職業にたけているので、劇団や楽団などの職業をしている人がほとんどです。

 1943年。フィロメナさんが21歳の時、ナチスに連行されてしまいます。その前にも工場で働かされていました。アウシュビッツなどさまざまな収容所に移動させられ労働をし、時には逃亡をして捕まり、再び連行され罰として仕打ちを受けながらも、生き延びたことが不思議なことだと著書では語っています。

 フィロメナさんは、シャワー室の入り口に立たされたこともあります。このままチクロンBにより殺害されてしまう一歩手前を味わっているのです。彼女は子供を守ろうとして足の間にかくまり、SS(ナチス親衛隊)の「おまえはドイツ人か?」の問いに「そうです」と答え難を逃れるのです。

 収容所の体験記を読む人々のほとんどは、ただ<生きて帰りたい>と強く思い続けています。それが危機に直面した時、一筋の光を当たっているかのように逃れることが出来たり、生きることのエネルギーが湧いて来るのかと思うのです。
 想像を絶することではあるし、生き延びた人々も運もあるけれど人間の魂の力は計り知れないということを感じます。

 心的外傷はどのサバイバーにもあると思いますが、フィロメナさんも現在も抑鬱状態の後遺症が出るそうです。その体験を語ることもとても時間がかかることで、パニックを起こして語れないサバイバーもいるそうです。
 こうして、著書として残された記録をこれからも大事に読んでいきたいと思います。

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by sora_atmosphere | 2006-07-08 21:27 | ホロコースト関連

ライフ・イズ・ビューティフル>映画

ロベルト・ベニーニ監督「ライフ・イズ・ビューティフル」。



決して意識をしていたわけではなかったのですが、ブログタイトル"Life is beautiful"と関連性を感じます。

こちらの映画の背景も、1939年のナチが政権を握っていた時代。
イタリア、トスカーナ地方に住む主人公グイドは、イタリア系ユダヤ人。
1939年より、ユダヤ人狩りを始めたドイツ軍により強制収容所に連れて行かれてしまいます。

カンヌ国際映画祭では、グランプリを受賞した有名な作品ですが、やはり見なければ、この課題には取り組めないような気がしています。

ユダヤ人迫害を扱った作品は他にも過去多数あります。
スピルバーグ監督の「シンドラーのリスト」もアカデミー賞を受賞して有名です。映像がリアルすぎて(特に射殺のシーンなどは)胸が圧迫されます。
「アンジェラの灰」。
A.Iで知られるハーレイ・ジョエル・オスメント主演の「ぼくの神様」こちらは1942年のポーランドが舞台。これもラストが胸が痛いんです。
など。この3作は私は見ました。

ドイツが制作した、実映像を映したドキュメンタリー作品「夜と霧」は見るのには心の準備が必要に思います。ヒトラーのドキュメント映像も過去見ましたが、ヒトラーの演説、群衆のエネルギーはまた格段です。また違った視点で戦時中のエネルギーを感じます。

「ヒトラー〜最期の12日間」こちらが日本で公開されている時にちょうどチェコに行っていましたが、あちらにもビデオなど置いてありました。ミュンヘン出身のアドルフ・ヒトラーの秘書から見た、ヒトラーの最期を綴った作品です。こちらも順を追って見て行くつもりです。

こちらからは外れてしまうかもしれませんが、「オリバー・ツイスト」も最近気になる映画の一つです。

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by sora_atmosphere | 2006-07-04 10:34 | ホロコースト関連