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星野道夫 著>「表現者」

 あらたに1998年9月発行、星野道夫著の「表現者」を借りました。

 著書の中で、"ミチオ"の友人、ジニー・ウッドが『なぜ経済学の学位をとったのに写真家になんかなったんだ』という質問に、『僕には中学の時からの親友がいた。一緒に山登りをした。だけど、登山中の山の突然の噴火で亡くなってしまった。親友は、アラスカに行って野生動物の写真を撮りという思いを抱いていた。だから僕はアラスカに来たんだ。』と話していたそうです。

 私はこの一節をあらためて読み直し、親友との深い絆を感じました。きっと星野道夫は、一人で写真を撮っている間だけは、親友と同じ時間を過ごせたのではないかと。そして、もっとも撮りたかったグレイシャー・ベアーを親友と一緒に見たかったのではないかなと。

 『マッキンレー山を見ると、いつも不思議な気持ちになるんです。あの山のどこかに、植村直己さんがいるんだと思うと、なんともいえない不思議な気持ちになります。』(ここにいて、ここにいない:松家仁之著、星野道夫との会話の中から 文中より抜粋)

 この著書の中でも、先日講演を行なった作家の池澤夏樹さんは、星野道夫の写真や文章などを通して、彼のことを的確に捉えています。そして的を得た批評をしています。私が池澤さんの文章が好きだからかもしれませんが、星野道夫への思いがよく伝わってきます。

 私は当時、この著書を読んだ時気になって書き留めていた言葉があります。それは、インタビューの際に、アラスカについてこんなことをいった言葉です。

  『アラスカの自然で何にひかれているかといえば、一つ思うことは、意味のない世界のひろがり、という気がします。ー(中略)ーぼくらはふつう、すぐ意味をつけてしまうんですが、そこには意味をつけるのが不可能なような世界がいつまでも広がっているんです。ー(中略)ーえんえんとつづく原野の上をずっと飛んできて、こんなところに人の暮らしがあるんだろうかと思うとき、フッと村が見える。そして村のまわりを見ると、一千メートル離れていないところに、太古から変わらない森や原野があって、それがまた空漠たる広がりに連なっている。また意味のない世界が広がっていく。』

 《きっと、自然とはそれ自身何の意味さえもたないのかもしれない。そして、そこに、何か意味を見出そうとするのが私たち人間なのだろうか。》


 この言葉を読んだ時、1997年にアメリカを訪れた時に長距離列車に乗りながら考えていたことを思い出します。オクラホマかカンザス付近をアムトラックから見た岩肌を縫って走る車窓からの風景を見ていた時の感情。
 
 言葉にならないとはこのことでした。剥き出しの自然を間のあたりにすると人間は無力になるのだということを感じた得た時間だったのです。
 (レポートが更なる著書の感想へとなっていますが)

Sora


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by sora_atmosphere | 2006-08-15 22:32 | 本/Books