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対談 高梨豊×田中純

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<都市へ>より 東京国立近代美術館蔵 (C)Y.TAKANASHI


更新するのがすっかり遅くなってしまったのですが(体調不良により)、先日行った写真家と大学院准教授の対談の話から、東京国立近代美術館で開催中の「高梨豊 光のフィールドノート」展のことを書きたいと思います。

高梨豊氏は、主に東京(都市)を中心に撮っている写真家で、戦中での疎開生活などを体験していることもあり、都市が発展していくまでの変化や方法論を写真という表現を使い探求を続けています。何年かごとにシリーズで撮られていることが多く、展示もこのシリーズごとに展示されています。

対談では、1966年頃に撮影された「東京人」から、「東京人1978-1983」の話から始まりました。この話の中で、始めに撮影された「東京人」のときに比べると、その後の「東京人」は光がフラットになってしまったと話されていました。それは、都市の姿がすっかり変わり、人間の内面にも影りが見えるということからそのようにいっていました。恐らく、都市の発展とともに、人間性がどんどん失われていくような実感だったのでしょうか。

都市のテーマとは一転して撮られた「初國」は、日本各地の「神さびた土地」神話にゆかりのある地や、古くから信仰を残す土地などに訪問して撮られた作品ですが、この作品は撮りながら方向性を考えていたという作品です。

私が高梨豊氏の写真を初めて見て印象づけられたのが、「都市へ」という作品でした。プロヴォーヴの時代に撮られたもので、「風景」が中心です。この「都市へ」の印象が強くて、はっきりと写真家の作風を認識していませんでしたが、私にとってはこのシリーズが特別興味深く写りました。偶像的、神秘的な作風というものに惹かれてしまう影響もあるからかもしれませんが。

対談のなかでは、「地名論」を巡って白熱した話が繰り広げられましたが、私のなかでは、この作品のシリーズ(全て組写真で構成されていましたが)は、<面>から<点>への視点のシフトしているということで、人物を遠近で撮っているので人物を点としてとらえていると、このように解釈をしました。ただ写真の哲学の難しさというのがやはり感じられます。写真は複雑な個人論が出れば出るほど、人には伝わにくいというものになってしまいます。話を聞いて「なるほど」と思いましたが、それを「方法論」という形で理解をさせようとすればするほど、専門家にとってみると「理解に苦しい」というようなものになるのでしょう。なかなか写真も複雑なものです。

写真のプリントのディティールはとても綺麗です。カラーも独特で展覧会は見応えがありました。

田中純オフィシャルサイト
高梨豊 fotonama


Sora


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by sora_atmosphere | 2009-02-12 23:48 | 展覧会/Exhibition